交響曲第10番/ショスタコーヴィチ
<はじめに>
今年2025年は、ショスタコーヴィチの没後50年にあたる。
生前、ショスタコーヴィチは作曲家として共産主義の優等生と認識されていた。しかしながら、亡くなった4年後、ショスタコーヴィチの秘密の回想録と銘打って『ショスタコーヴィチの証言』が出版される。この本によってショスタコーヴィチの作曲家像は一転し、当時の政治体制に対する苦しみを音楽に刻み込んだ作曲家として見られるようになった。のちに、この『証言』の一部は偽作であるとの指摘が相次いだが、ショスタコーヴィチに対する見方が完全に元に戻ることはなかった。1990年代になって、ショスタコーヴィチが生前に送った手紙が見つかることで、彼の作曲家像がさらに変わっていくこととなると同時に、彼の作品である交響曲も時代を経るごとに、さまざまな解釈がなされてきている。
交響曲第10番について、ショスタコーヴィチ自身は次のように語っている。
「作曲家は、自分としてはこうやってみたのだが、などと言いたがるものである。だが、わたしはそういうふうに語ることは控えよう。聴衆が何を感じたかを知り、その意見を聞くことのほうが、わたしにははるかに興味深い。ひとことだけいえば、この作品の中では、人間的な感情と情熱とを描きたかったのである。」
D.ショスタコーヴィチ(1906~1975)
<ショスタコーヴィチの青年時代>
ペトログラード音楽院で学んだショスタコーヴィチは、卒業作品として「交響曲第1番Op.10」を作曲した。この作品は当時のソヴィエト各地や西欧でも演奏され、彼の名は広く知られるようになった。さらに1927年の第一回ショパン・コンクールにピアニストとして出場し、名誉賞を獲得している。こうして名誉名声を手に入れていったが、彼の生活は豊かであったとはいえず、バレエのピアノ伴奏や、劇付随音楽や映画音楽を作曲し生計を立てていた。
1931年、当時25歳のショスタコーヴィチは、友人であるセレブリャコーワに次のように話している。
「私は愛のテーマで作曲をしたい。限度をわきまえず、ついには犯罪へと導かれる“ゲーテのファウストのように悪魔によって吹き込まれた愛”です。」
<ショスタコーヴィチの恋>
ショスタコーヴィチは相当に恋多き人であり、純粋なラブソングをいくつも書いている。妻ニーナと結婚していた間も、そして彼女の早逝後も、仕事で出会った女性や自分の教え子など、さまざまな女性に愛を伝えている。
交響曲第10番を作曲していた当時、親しくしていたアゼルバイジャンのピアニスト・作曲家エルミーラ(1928~2014)は、ショスタコーヴィチの教え子であった。1994年、ミシガン大学で行われたシンポジウムにてショスタコーヴィチがエルミーラにあてた手紙が報告された。ここで初めて第10番の(特に第3楽章における)明確な内容が明かされた。
<曲中に忍ばせた音楽文字について>
ショスタコーヴィチは自身の名前をドイツ語表記したDmitri SCHostakowitchのD.SCHを、音名として“DSCH(D-Es-C-H):レ‐ミ♭‐ド‐シ”と読みかえたモチーフを使ってきた(DSCH音型)。ヴァイオリン協奏曲第1番をはじめ、弦楽四重奏曲などさまざまなところに使われている。

ショスタコーヴィチの作品群においては、ほかにも「スターリン」を表すモチーフは “D-E-F:レ‐ミ‐ファ”であるとされている。また、交響曲第10番においてもエルミーラのモチーフを曲中に潜ませたことが明らかになっている。
<作曲された時代背景>
最高指導者スターリンの訃報が1953年3月6日の早朝に告げられた。全能の独裁者によるコントロールを失ったことで、社会は後戻りができない混乱に向かいそうな空気を、当時の知識人達は感じ取っていた。
ショスタコーヴィチ本人によれば、交響曲第10番は訃報からあまり間もない夏から秋のわずか数ヶ月間で製作したとしている。初演は同年12月17日、エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮、レニングラード・フィルハーモニー交響楽団によって行われた。
翌年1954年の3月29日―30日、4月5日の3日間、異例の<第10番>の討論会が開かれた。この討論会には大きな関心が寄せられ、聴衆はホールにあふれかえった。主な論点は、この交響曲が暗すぎるため、「社会主義リアリズム」の芸術作品が楽観的なものでなければならないという要請に合致しないという点であった。この論争は社会主義体制に悲劇性が是認されるのかまで議論されることになる。批評家や音楽家たちの批判や弁護がある中で、概ねショスタコーヴィチの<第10番>の真価が高く評価されることとなった。
<交響曲第10番について>
評論家:ヤルストフスキー氏は、第1楽章の導入部がリストの『ファウスト交響曲』の旋律と似ていると指摘している。また、第2楽章を「悪の力」として、第1楽章の『ファウスト』と対比させているとした。
戯曲『ファウスト』は老学者:ファウスト博士が、悪魔:メフィストフェレスに魂を売り渡すことと引き換えに若さを得るところから始まる。若さを得たファウストは美しく純粋な少女であるグレートヒェンと恋仲になるが、少女の人生は究極的に狂っていくのであった。原作ではファウストは、最後には悪魔に魂をとられて地獄へ行く話であるが、このゲーテの作品の中では、グレートヒェンの霊に救済されて魂は天国へ登っていくこととなる。
作曲家:吉松隆氏も、第1楽章を「ファウスト」、第2楽章を「メフィストフェレス」、第3楽章を「グレートヒェン」になぞらえ、それぞれを「作曲者自身(ショスタコーヴィチ)」「スターリン」「エルミーラ」に当てはまるとの解釈をしている。ショスタコーヴィチが20代半ばに描きたかった「愛のテーマ」について、20年を経たのちに形にしたと推測できる。
■第1楽章:Moderato
低弦による重々しい序奏から始まり、ヴァイオリンとヴィオラがショスタコーヴィチ(D.S)のイニシャルに由来した“D-Es:レ‐ミ♭”というモチーフを演奏する。クラリネットの独奏に続き、フルートによる不安なワルツ。そして徐々に管楽器や打楽器も加わり、感情が頂点に達する。楽章の終盤は2本のピッコロによる二重奏は力尽きて1本のみとなり、澄んだ冷たさの中で、静かに楽章を終わる。
■第2楽章:Allegro
『ショスタコーヴィチの証言』のなかで、ショスタコーヴィチは“第2楽章のスケルツォは、スターリンの音楽的肖像である”と述べている。
暴君の圧制を回想するように、スターリンのモチーフである“D-E-F:レ‐ミ‐ファ”の半音低い演奏から始まる。オーケストラは容赦なく暴れまわり、残酷なスケルツォは最後まで奏でられる。
■第3楽章:Allegretto
3つの主題から構成されている。1つ目は冒頭に現れる不気味さの漂う舞曲風音楽。2つ目はDSCH音型がはっきりと現れる。続いて3つ目はホルンで奏でられる“E-A-E-D-A:ミ-ラ-ミ-レ-ラ”という音型である。ショスタコーヴィチはエルミーラとの手紙の中で彼女の名前である「E-l(a)-mi-r(e)-A」を「E-A-E-D-A」として曲中に刻んだことを明かしている。エルミーラによって魂が救われていく様子が垣間見られる。

■第4楽章:Andante – Allegro
低音弦の悲しげな歌と木管の高音域での情感たっぷりな旋律の対比から始まる。
唐突にAllegroの主部に入り、一転して曲調は力強く明るくなる。その頂点で自身を表すDSCH音型が鳴り響く。最後はティンパニによってDSCH音型が勝ち誇ったように演奏され、自伝的交響曲は閉じられる。
2025.5 Norio